2017年12月4日月曜日

届かなかった恋文を 【彼の方へ】

彼岸においでになる我が君よ。
此岸より文をお送りすることをお許し下さい。

貴方様は覚えておいででしょうか。
貴方様が私の手から零れた恋文を読んで、
大層満足げに微笑まれていたことを。
それらが全て届かなかった、否、届けなかったことを承知の上で。

故に。
また我が君に読んでいただけるように、
また書こうと思うのです。
届かなかった恋文を。
届けなかった恋文を。

お手に取り、どうぞご笑覧くださいませ。


次の文は決まっているのです。
彼の方の事。

覚えておいででしょうか。
貴方様が私に言ったことを。
「愛ちゃんは○○さんが好きなんだよね?」

その方の事で御座います。

ええ、仰る通り。
お聞きになった時には、咄嗟に誤魔化しましたが。
私は彼の方を女として想っておりました。

けれど。

確かに逢瀬も御座いました。
肌身を晒して睦みおうた日々も御座います。

けれど。

この肌身に幾度となく紅い花と白い花を咲かせようとも。
幾度彼の方と睦みおうたとしても。
どれほど私が彼の方を想ったとしても。

彼の方に契る気持ちがないのならば、
彼の方と私の間に通うものはないのです。

彼の方と契る事を夢見るのが、私の至上の幸せで御座いました。
なれど。
それは儚い夢。

その後はもうご存知でしょう。

恋の行く末 松葉の末掛けて

二心を持ちながら、肌身を晒す事のなんと愚かな事か。

愛しながら、憎みながら。
其れでも離れられぬ己が身の上を嘆きつつ。
私は、彼の方を想ったのです。

一夜で咲いた恋の花は、私の想いに焼かれながら、
ゆっくりと枯れていき、そして散ったのです。

散り際に、忘れ得ぬ傷を残して。

もしも彼の方がこの文を読んだなら。
きっと、己の事だと気付かないでしょう。

傷を残したなどと、彼の方は考えてもみないでしょうから……。


さあ、どうぞ御笑覧あれ。
二心の片割れ?誰に抱いたか?
貴方様ですよ、我が君。

2017年11月26日日曜日

届かなかった恋文を 【愛しの我が君へ】

彼岸においでになる我が君よ。
此岸より文をお送りすることをお許し下さい。

貴方様は覚えておいででしょうか。
貴方様が私の手から零れた恋文を読んで、
大層満足げに微笑まれていたことを。
それらが全て届かなかった、否、届けなかったことを承知の上で。

故に。
また我が君に読んでいただけるように、
また書こうと思うのです。
届かなかった恋文を。
届けなかった恋文を。

お手に取り、どうぞご笑覧くださいませ。



最初の文は、そうですね。
やはり、我が君。
貴方様の事が宜しいでしょうか。

…貴方様は、私の綴る言葉を愛して下さいました。

私の綴る言葉をあそこまで愛してくださった方は、
後にも先にも貴方様お一人だけ。

その後に付ける貴方様の感想は、実に官能溢れるものでした。
品性を失わず、さりとて残り香として印象付ける程には。

その言葉遣い、文章の組み立て方、間の空け方。

全て、全て。

私の理想の殿方で御座いました。

有体に申し上げますと、あの時から私は貴方様に狂ったのです。
独り善がりの恋を始めてしまったのです。

顔には出さず。
口にも出さず。

耳なしの  山のくちなし  えてしがな  思ひの色の  下染めにせむ

上手に梔子の色で染められたものです。

御存じなかったでしょう?
私のこのような思いなど。

このように仰ったではありませんか。

「愛ちゃんは○○さんが好きなんだよね?」

ええ、それも間違いでは御座いません。
けれど、我が君。
それ以上に私は貴方様をお慕いしていたのです。
胸の内を焦がすようなモノではありませんでしたが、
心の底に積もった思いは、
踝を越え、膝を越え、胸に迫り、頭の天辺まで覆い尽くす程。
貴方様への思いに、じわりじわりと溺れていったのです。

けれど、私は貴方様にその気持ちを見せることはありませんでした。
既に、人の夫であったのですから。

また、私が貴方様を愛したのは、貴方様が私に見せた言葉だけなのです。
故に。
男と女の愛ではなかったのです。
言の葉の恋だったのです。

貴方様が御隠れになられたと聞いたときに、
私の胸に去来したもの、それを貴方様がお聞きになったらどう思うか。

貴方様の居ない深い深い悲しみと、針先程の仄暗い歓喜。
ああ、ようやくあの方に伝えられるのだ、と。
私のこの独り善がりの言の葉の恋を伝えられるのだと。
ああ、ようやくあの方がどこにいるかわかったのだ、と。
彼岸、いつかは私も辿り着く彼岸。
ああ、ようやく終えられるのだと。
私のこの独り善がりの言の葉の恋が終わるのだと。

貴方様に触れ得ぬ深い悲しみを。
ほんの少しの歓喜で塗り潰して。

この恋文を書き終えたら、その中へ私のありったけの思いを乗せて、
貴方様の元へ届けましょう。

扇で隠した私の口元が、にんまりと弧を描くのを感じております。
また、頬をつうと伝う熱いものも。
きっと貴方様はこれを読んで、とてもバツの悪い顔をするのでしょう。
そして、頭を掻きながら「困ったな」と一言だけ。

さあ、どうぞ御笑覧あれ。
その笑いがたとえ、苦いものであったとしても、ね。
これは貴方様への文なのですから。

2017年11月19日日曜日

息を吸って、毒を吐く 【愛憎編】

清水愛だって人間である。
綺麗事ばかり言っているわけにはいかないのである。
かといって吐き散らすわけにもいかない。

故に。
なるべく纏めて毒を吐く。

故に。
纏めて毒を吐く場合には、
タイトルできちんと先に宣言する。

見たくない方はここから回れ右。












警告はしたからね?
君も物好きな御仁だね。
じゃあ、僕の狂乱に少しだけ付き合っておくれ。
単なる詭弁の置き場所かもしれないけれど。





【醜聞の真実】


君、ゴシップ紙好きだよね。
たまには小説の一冊でも読みゃいいのにって思う。

でもさ、君が楽しそうに喋ってるその醜聞(すきゃんだる)。
『真実の○○』とかって謳い文句だけどさ、それ…。

ホントにホントに真実かな?

単に事象の積み上げなんじゃないの?

関係者に話聞いただけなんでしょ?
なんかの証拠が出てきたわけでもないんでしょ?
誰かが嘘ついてたらどうするの?
全ての人が事実を語るなんてどうしてわかるのさ?
ついでにさぁ。

其れが事実・事象のの積み上げだったとしても、
本人含む関係者が皆一堂に会して自分の偽りのない心情を語る以外に、
真実なんてないんじゃないの?

醜聞なんだもん。
偽りのない心情なんて語るわけないじゃない☆





【愛情の消費期限】


あれ?ないと思ってた?
意外と君純粋なんだね。
気付いてないかもしれないけど、愛情ってナマモノなんだ。
それもとても足の早い。

鮮度管理をきっちりしてたら殆ど腐らないんだけどね。
鮮度管理?
「その人の愛する異性から好意を寄せられること」が何よりの管理さ。

腐ったら?
あ、知らなかった?

万が一腐っちゃった場合「憎悪」に変質しちゃうんだ。
それも不可逆的に。
え?不可逆的?
つまり2度と「愛情」に戻らないって事。

管理してた「愛情」が多ければ多いほど、
「憎悪」も同じ数だけ発生しちゃうんだ。
同時多発的にね。
背中と、闇夜に気を付けてね☆





【デモデモダッテ】


『デモデモダッテ』な人間は実に素直だ。
自分の感情に。
僕らはいつも言うんだよ。

「それじゃいつまで経っても同じでしょう?変わらないよ」
『デモデモダッテ』
「悩んでいるなら動かなきゃ」
『デモデモダッテ』

だけどね、覚えておいて?

僕らだって君の『デモデモダッテ』に付き合ってる程、
暇でも君に構われたいわけでもないんだよ?

『デモデモダッテ』は期間限定だから覚えておいてね☆




【理想の女】


僕が理想の女に見える?
そりゃあ重症だ。
君は早急に眼科医と精神科医に受診した方がいい。
いい医者を紹介してあげよう。

あ、そうじゃない?
理想の女を見つけた?
ふぅん…。

ねぇ、その女性。
君の『幻想』なんじゃないの?

君が見たいだけの彼女を見て、本質の彼女を見てないんじゃない?
その彼女が君がげんなりすることをしていたとして、君、その彼女愛せる?
愛せるなら別に僕何にも言わないよ。

女は『幻想の対象』じゃないよ?
現実を生きるイキモノだ。

場合によっちゃ、君の上で腰を振ってよがっちゃうイキモノさ。
君が気持ちよかろうがどうだろうが、道具扱い出来ちゃうイキモノ。
其れさえわかってればオールオッケーさ☆




ほら、毒ばっかりだっただろ。
君も良くこれに最後まで付き合ったね。
ホントに、君、物好きというか酔狂だよね。

ま、そんな君だから好きなんだけどね。
ありがとう。
また、付き合ってくれると嬉しい…かな。

2017年11月6日月曜日

根底を流れるもの

清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。
本日は相当長文で御座います。
皆様、御覚悟の程は宜しゅう御座いますか?


大昔の恋人と、私は一つの約束をした。
彼が「平成の村上春樹になる」と公言していたのだ。
故に私は「平成の谷崎潤一郎になる」と妄言を吐いたのだ。
それがもう二十年も前の話。
だけれども、私がそっと耽美の世界に足を踏み入れた時、
その地下へと続く階段は黒く、狭く、そして果てしなく続いていたのだ。
私はまだそれを下り続けている。
正直道半ばで諦めて、光有る上へと逃げたくもなる。
でも、もう帰れないのだ。
私の根底を流れる「谷崎潤一郎になる」という願いが、
私を一歩一歩下へ下へと導いている限り。
私のナオミははたしてどこにいるのだろうか。
朧に見えているのに、掴めない。
それを見つけぬ限り、私は帰れない。


閑話休題。


私は良くも悪くも影響を受けやすく、
最近は私が姉様と呼ぶ女性から影響を受けている。

恐らくなのだが、彼女と私の根底を流れるものは近似しているのだ。
故に影響を受けやすく、そして、琴線に響きやすい。
その彼女と話していて思った事。


私のシニックな態度に、不快感を覚える人も居るだろう。
勿論、それを見て快哉を上げる人も居て下さるのだが、
結局のところ、私のシニックは私の根底を流れる河の飛沫に過ぎない。
故に私の主張から外れず、且つ、少し変形している。
河の飛沫に一つとして同じ形などないのだから。

ただ、この根底を流れる河はいくつかの支流をもっている。
基本的には大きな河だが、その支流は河から分かたれ、
独自の川となったものだ。
故に、大きな河から見ると少し違う様に見えるかもしれない。
だが、結局のところは大きな河の支流なのだ。
遡れば全て一なのだ。

だから、
もしも私が普段申し上げていることと少し違うことを話したとしても、
それは支流の飛沫かもしれないのだ。
遡れば全て一の私。
私の根底を流れるものの一部なのだ。

シニックな私も、善人面をする私も。
セクシャルに生きる私も、純愛に生きる私も。
全て、全て、私の一なるものから生まれたのだ。

私の一なるもの。
私が私たりえるもの。

故に、あからさまに拒絶しないでほしい。
貴方が見ている私も、あの人が見ている私も。
それは全て私なのだから。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年10月25日水曜日

渇望するもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。
本日は相当長文で御座います。
皆様、御覚悟の程は宜しゅう御座いますか?

先日、思い立って禁煙をした。
禁煙三日目が非常に辛いとツイッターで励まされながら、
実際に三日目は厳しかった。
普段「吸いたい」という気持ちに苛まれることなどないのにも関わらず、
あの時だけは無性に吸いたいと思った。

「ああ中毒ってこういう事ね」

と布団の中で苛まれながら思ったものだ。


閑話休題。


最近ではオカン属性やら、おばちゃん属性やらがついた私だが、
昔はもっと違う名前で呼ばれたものだ。

「恋愛中毒」「恋愛体質」「男が居ないとダメな女」

…否定はしない。
事実そうであったから。

そうしたのは、たった一人の男。
そう、たった一人。
今日はその男の思い出を話したいと思う。
寒い日だから思い出すのだから。

一人、私が十年想った男が居た。
二十歳から三十歳になるまで。

そして、その間で実際に彼の肌に触れたのはたった四回。
それで十年想い続けたのだから我ながら凄いと思う。
もう執念と言ってもいい。
よく私が戯れに「年増の深情け」なんて言うが、
それも真っ青になって逃げだす程の執念。
こればかりは六条御息所にだって負けないと思う。

今になって考えれば、バカ野郎と己の頭をぶん殴りたくなる。
その男に関わるな、と。
もっといい男が目の前にいるぞ、と。
だがその時の私は、兎にも角にもその男を欲した。
熱病のような恋に浮かされながら。

正しく「渇望」したのだ。
喉が渇いた人が水を欲するように。
何がそうさせたのかはわかっている。

恋愛の初期によく起こる、不思議なシンクロニティ。
それが立て続けに起こってしまった。
私は彼を「完全」に理解したと勘違いしてしまった。
彼も私を「完全」に理解してくれたと勘違いしてしまった。

そして、「私が居なければこの人はだめなのだ、私が救わなくては」と。
あろうことかメサイアコンプレックスまで引っ張り出してしまったのだ。
だが、メサイアコンプレックスを引き出してしまったのは私だけではなく…。
彼も同じように引き出してしまったのだ。

その行きつく先はもう見えているだろう。
「共依存」だ。
互いにとってなくてはならない関係に成ったのだ。
非常に悪い意味で。
今となっては疑問なのだが、私は本当にひと時でも彼を想ったのだろうか?
あの十年は単なる共依存の一形態だったのではないか?
……まぁ、その答えは今も出ないのだが。

おまけにその過程として、性癖を開発されてしまった。
彼は征服者として、私は隷属者として。
それ以降、私は愛玩されるものとして彼の元に居た。
彼に言われるままに他の男とも寝たし、
彼の命令ならば何だって聞いた。
社会的にまずい事だって出来たし、嬉々として報告もした。
強請られるままに金を差出し、気が付けば借金の連帯保証人に。
自分の身と心と社会的信用を傷つけながら生きていた。

だが、そんな熱狂的な時間も、覚める瞬間がやってくる。

先に覚めたのは私の方だったようだ。
少しずつ彼の隷属から離れ、他の男に目を向けだして、鞍替えした。
会ってくれて、愛してくれて、私を大事にしてくれる男に。

そこからしばらくの私は酷かったように思う。
本当に、男が居なければ、誰か想う相手が居なければ、
動くこともままならないような状態だったのだ。

それでも、彼からメールが来れば嬉しかったし、
通話があれば嬉々として出たのだが…。

完全に夢から覚めたのは、今から六年前。
平成23年10月。東日本大震災があってから約半年経った頃だ。
彼はあの震災の日、被災地…仙台に居たのだ。

その時には私を想ってくれる人も被災地に居たのだが、
その人は震災から一日で何とか無理やりにでも連絡をくれた。
安心したのも束の間、彼からの連絡は待てど暮らせど来やしない。

生死不明。
その時病院に入院していたはずだったのだが、
何処を調べても分からない。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて…。
涙も枯れた頃、涙と一緒に想いも消えていた。
冷たい奴と思って頂いて結構だ。
本当に、綺麗さっぱり流れてしまったのだから。

それから半年後の10月。丁度今頃だったはずだ。
彼からのメールが一通。
「生きてるよ」

何の情動も起こらなかった。

何と返したか覚えてはいないが、
丁度お付き合いを始めたばかりの夫に報告した様な気がする。

十年見続けた夢は、あっさりと覚めた。
昔はよく思い返したものだが、最近はその機会もめっきりと減った。
会うこともままならず目に焼き付けた写真の顔と、
電話越しに聞こえる声だけは、はっきりと覚えているんだけれども、ね。

「愛してる、アイ」

私が欲しくて欲しくて堪らなかったその台詞だけ。

「アイはホントにバカだなぁ」

無邪気に笑いながら私を構う台詞だけ。

その二つだけはやけにはっきり覚えている。
きっとその二つだけは忘れないんだろう。
若かった自分への戒めとして。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年8月31日木曜日

欠かせないもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。

あまりに久方ぶり過ぎて何を書いたらよいやらと思っていた。
そんな中、ツイッターでついうっかり見つけてしまった方。
若かりし頃に友人に戴いた本に載っていた方。
ドラァグクイーンのお姉様方のツイッターアカウント。
凄く凄くテンションが上がってしまった。
その勢いでしたためてみる。
雲の上のお方のお声を直に聞けるのである。
憧れのあの方達が考えていたりしていたりすることを、
リアルタイムで受信できちゃうのである。
速攻でフォローした。
途方もなくいい時代になったものだ。


閑話休題。というか、ちょっと落ち着こう、私。


さて。
このブログを開設した時に、
多少性的な話題はツイッターの方ではなく、
こちらでやると決めていた。
理由は簡単だった。
あちらでやると字数が圧倒的に足りないのだ。

かといって自分で自分にリプライを飛ばすのもアレだなー…

だったらブログでやればいいじゃん

という非常に短絡的な考えだったのだ。

ガッツリ性的な話題はやらない。
あくまでも『多少』の域を出ない範囲でやっていくつもりだ。
今日はちょっとソッチよりの話題。

私の若かりし頃というのは、
インターネットがピーガガガーの時代である。
ダイアルアップ若しくはISDNだった頃の話である。
テレホーダイがわかる人は画面の前で挙手していただきたい。

そんな時代だったものだから、
インターネットで収集できる情報というのは、
今のように多種多様ではなく、
「知る人ぞ知る」情報だったのだ。

ただ、田舎に住んでいる私としては、
非常に重要な情報ばかりだったのだ。
何故なら、その当時まだ成人したかしないかの私には、
得難いフェティッシュな情報が多々あったのだから。
(年齢を暈すのは年齢制限的な物故に平にご容赦を…)

都会に行けば、フェティッシュな情報も、
参加可能なフェティッシュなイベントも多数ある。
だが、私は田舎の成人したかしないかの女性。
有体に言えば、しがない田舎娘だったのだ。

そんなのが、
「フェティッシュなイベントに参加するために上京」
なんて出来るはずもなく…。
手に入れられる範囲のその手の雑誌を手元に集め、
指を咥えて見ているだけしか出来なかったのだ。
数か月前に終わったイベントを手元の写真だけで見つめる日々。
焦がれても手の届かないものがそこにはあった。

それが、一日二日で写真やら文章やらでホームページにUPされる。
其処のホームページの主と仲良くなれば、
直接詳しく聞くことが出来る。
生の空気のお零れに与る事が出来る。
もうそれだけで感動だったのだ。

指を咥えて見ているのは変わらないが、
空気に触れられるか否かは大きな隔たりだ。

しかし、インターネットの普及により更に事情は変わってくる。
情報は更にリアルタイムで配信されるし、
ややもすると動画で見ることが出来る。

今のインターネットに慣れた人達からすると、
きっとそれは当たり前の事なのだろうけど…。
これは当たり前ではなかったのだ。

その手の本を探すのもまず一苦労。
だってまだその頃某大手通販会社なんて、
誰の口の端にも上がらなかったのだから。
都会なら少し薄昏い場所に行けば手に入ったであろうものも、
こちらではさらに手に入らなくなる。
手に入る書店はかなり貴重だった。

おまけにうら若い女性である私には手に取り難い本ばかり。
故に、似たり寄ったりの性癖をお持ちの殿方に、
借りたり、私の代わりに購入していただいたり…。
逆にあちらが手に取り難い本などを融通したり、
その手の書籍が手に入る本屋を教えたりと、
持ちつ持たれつな関係を作らねば手に入らないものだったのだ。
人脈がモノを言う時代だったのだ。

ところが今はどうだ。

欲しい本があれば、検索すればすぐに判明する。
欲しければ、インターネットで注文してワンクリックで決済終了だ。
そこに、友人やら知人やらの手は介在しない。
殿御の前で恥じらいながら、「『○○』という本なのだけれど…」と、
己の性癖を曝け出さなくても良いのだ!
(まぁそれが楽しい時間の始まりだったりもしたのだけれど)

離れた地で行われているイベントの、
リアルタイムな情報も検索すればヒットする。
いちいち関係を積み上げなくとも、
赤の他人でも見られる場所に情報が置いてあったりもする。

それどころか、同じ性癖の持ち主のコミュニティだって、
検索すればピッと一発ヒット。
昔は「蛇の道は蛇」とばかりに、
そのコミュニティに属している人を探し出さねばならなかった。
それからその人と信頼関係を築き上げ、
そのコミュニティの一員と認められるまで信頼を積み上げる。
そんな小さな努力を積み上げて積み上げて積み上げて…。
漸く自分の好きなものに触れられる。
そんな時代だったのだ。
その分、至った時のカタルシスは途方もないモノだったが。

兎に角、田舎にいる情報弱者になりがちな私には、
インターネットは今や絶対に欠かせないものなのだ…。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年6月22日木曜日

奇なるもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。

皆様は「見世物小屋」に入ったことはおありだろうか。
私の小さい頃は決まって祭りに出ていたものだ。
おどろおどろしく、それでいて妙に惹きつけられる看板を見て、
入りたいと父に強請ったものだ。
その時決まって父が言うのだ。
「あそこにはとても怖いものが居るんだよ」と。
それでもいいと強請って入った中では、
簡単な誂えの舞台に半裸の女が上がっていた。
演目は今でも覚えているが、ここでは多くを語るまい。
子供心に強烈な印象を残してくれた、とだけ記しておく。

閑話休題。

「講釈師、見てきたように嘘をつき」とは言うが、
私が話す体験談は、実際に私が体験したことだ。
ただ少しだけ違うことは、
聞く方に解りよい様に、少しだけ時系列を弄ったり、
会話の内容を意訳を交えて語ったりする。

勿論それには理由がある。
ただ聞くだけでは理解が及ばない部分が発生するからだ。
自分なりに落とし込んだ内容で語らねば、
自分でもたまに「アレは本当の事だったのだろうか」と、
理解が出来ないこともあるからだ。

それに加え、エンターテイメント性を求めるという理由もある。
ただ単に「これこれこういうことがありましたよ」では、
単なる自分語りだ。
(既にこのブログがそうなっているように!)
笑って頂いたり、感嘆していただかなくては意味がない。
どうせ聞いていただくなら面白い方がいい。

よって、私は自分の体験を多少弄る。
本質的に一切変わらないように、ではあるが。
私の理解の為にも、他の方の理解の為にも。
そしてちょっとした笑いの為に。

「事実は小説よりも奇なり」なのだから。
多少ディティールを弄ったところで奇妙な体験は変わりはしないのだ。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年6月19日月曜日

密かなるもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。

「謀は密なるをもってよしとす」という言葉がある。
たくらみごとは秘密にするのが良いわけだ。
……が、大体秘密にしても、どこかから漏れるのが世の常。
なかなかうまくは行かないものである。
…しかし、アレは一体どこから漏れているんだろうな?
恐らく、「これは!」と思って共犯者にした奴から漏れているのだろうが。
「絶対秘密にする!」の一言ほど、あてにならないものはない。
「ここだけの話にしてね」の一言がある限り。

閑話休題。

さて、ある程度の年齢になってきて、
気になるのがお肌の状態だ。
女性としては非常に気になるところではある。
なるべく手入れには気を遣っているのだが、
どうしても行き届かないところというものは出るものだ。
スペシャルな手入れが必要になる時が増えた。

スペシャルな手入れのために、部分クレイパックを購入したのだが…。
夫と共に風呂に入っている時に使用したところ、
夫が何故か自分の顔を指でなぞっている。
どうやらそこにもパックしろ、という意味合いらしい。
夫の言うとおり指を動かし、鏡を見たところ…。

「どうみても鬼瓦権造じゃねぇか!」

という面になっていた。

その後、化粧水を叩き込み、シートパックを貼り付けて、
眼鏡を掛けてPCに向かう。
その姿を夫は冷めた瞳で見つめていた。

夫の視線を受けて思った。

「世の夫達はこのように妻に幻滅していくのだな」

と。

世の妻達よ。
共に色々と隠そうではないか。
夫達を幻滅させないために。
白鳥は水面下で足を動かし、美しく装っているのだ。
私は隠そうと思う。

せめて、クレイパックだけは夫の前ではしないようにしよう。

鬼瓦権造になるように誘導されないために。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年6月16日金曜日

似て非なるもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。

私はどうも「ブランド物」というものが似合わない人間だ。
美しいものは美しい人へ、という気質であるため、
「美的弱者の私が持つものではない」と常に言っている。
今までで使用したものでブランドといえば、
何故か伯母から貰ったdunhillの肩掛け鞄。
通勤用の鞄として愛用していたが、周りからよく「それ男物…」と的確な突込みを頂いた。
でも好きだったんだもの。あの質感…。
いいじゃない。メンズを女が使ったって。

閑話休題。

さて、とあるバーチャルワールドでの話。
最近はかなり良い物が出ていて、
私のアバターの容姿は若干遅れ気味だったりする。



く言われるのだが…。
「最新のアバターにしないの?」
「似たようなの買ってきて同じ感じに作ればいいじゃない」

新しいアバターにすることは、今の所考えていない。
何故なら、これは私の親友(男性)に作って貰った容姿だから。
彼が私の性格等々を考えあわせた上で2時間掛けて作ってくれた容姿だ。
そしてこれを使用して数年。愛着も湧くだろう。

其れよりなにより。
私の大事な親友が作ってくれた容姿だ。
そう易々と変えるわけにはいかないのだ。
似たような顔を作ればよいというわけではない。
幾ら似た顔にしたとしても、そうなればもう彼が作った顔ではなくなる。
彼が私を思って作った姿ではなくなるのだ。
似て非なるもの。似非のモノになってしまうのだから。

「彼が作ったから」
たったそれだけの理由。
故に、私は変えない。

先日、彼にLINEを送る機会があり、聞いてみたところ…。

「変えてもいいよ?ただしあれ以上に美人だったら、だけど」
私には超えられる気がしないね。



大体こんなSexyなHip。
私には作れる気がしない。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年6月15日木曜日

人生の共犯者

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。

私のfavorite movieの一つに、「乙女の祈り」という映画がある。
実話を元にした映画で、
二人の少女が片方の親を殺害するという事件が元になっている。
多感な頃の少女達が親を殺害するに至るまでの心理を描いており、
私には衝撃的な映画だった。
まさに頭をぶん殴られるような衝撃を受けたものだ。
未熟な共犯者達。
彼女達は何を思って殺害に至ったのか、気になる方はどうぞ一度ご鑑賞を。
ちなみに、彼女達の一人は後にミステリー作家となっている。
幾つかの賞も受賞しているとのこと。
いつか読んでみようと思っている。

閑話休題。

貴方は誰かと秘密を共有したことがあるだろうか。
秘密の共有。
貴方が誰かと秘密を共有した時、
その誰かは貴方の人生に巻き込まれる。
その秘密の大小に関わらず、だ。
共有された人は、他の誰かに秘密を話すことも出来ず、
貴方の人生の共犯者となる。

数年前。
私はある男性から秘密を打ち明けられた。
命に係わる秘密。
私も彼に、私のバックボーンに係わる秘密を打ち明けていたため、
御相子となったわけだ。

そして、それ以来彼の姿を見ていない。
今でも闘病中であるのか、闘病の末に鬼籍に入ったのか。
それすらもわからない、ネット上のみの関係。

彼は私がSNSで綴る言葉を愛してくれた。
同じように私も彼の言葉を愛したのだ。
彼の言葉はとても独特で、とても難解で、そしてとても官能的だった。

彼の姿を見かけなくなってから、私は言葉を綴るのを止めた。
書けないのだ。
彼が居ないから。

けれど。
もう一度始めてみようと思う。
彼の元に届くように。いつか彼の目に触れるように。
また戻ってきた時に、「また下らないことをやっているぞ」と笑って貰えるように。
もう一度、私の言葉を愛して貰えるように。
そして、他の人に私の言葉を愛して貰えるように。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年6月14日水曜日

閑話休題(それはさておき)

どうも。皆様初めまして。
「清水愛(しみず あい)」と申します。

とあるところ―といってもGoogle+ですが―で、「清水愛」と適当に名乗ったところ、
友人がどんぴしゃりでその名前にはまってしまったようで…。
ゲシュタルト崩壊を起こすレベルで連呼してくださったのです。
それから私は「清水愛」になりました。
彼女の語る「清水愛」はとても概念的な存在に思えてなりません。
私は概念的な存在に成り果てていくのでしょう。きっと。

閑話休題。

ブログのタイトルでもある「閑話休題」。
昔からよくあちこちのブログで使っておりました。
このブログでも早速使っておりますね。
私の書き方なのですが、
大体話の枕として本題と関連する何かを書き、
その後に「閑話休題」と付けて本題に入るスタイルです。

内容的には、とあるバーチャルワールドの事、ゲームの事、自分の内面のこと、
日々に起こった諸々のことなど。
いろいろとたわごとをゆるゆると書いていこうかと考えております。
そんなものでよろしければ、どうぞごゆるりとご滞在下さいませ。

では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。