2017年11月26日日曜日

届かなかった恋文を 【愛しの我が君へ】

彼岸においでになる我が君よ。
此岸より文をお送りすることをお許し下さい。

貴方様は覚えておいででしょうか。
貴方様が私の手から零れた恋文を読んで、
大層満足げに微笑まれていたことを。
それらが全て届かなかった、否、届けなかったことを承知の上で。

故に。
また我が君に読んでいただけるように、
また書こうと思うのです。
届かなかった恋文を。
届けなかった恋文を。

お手に取り、どうぞご笑覧くださいませ。



最初の文は、そうですね。
やはり、我が君。
貴方様の事が宜しいでしょうか。

…貴方様は、私の綴る言葉を愛して下さいました。

私の綴る言葉をあそこまで愛してくださった方は、
後にも先にも貴方様お一人だけ。

その後に付ける貴方様の感想は、実に官能溢れるものでした。
品性を失わず、さりとて残り香として印象付ける程には。

その言葉遣い、文章の組み立て方、間の空け方。

全て、全て。

私の理想の殿方で御座いました。

有体に申し上げますと、あの時から私は貴方様に狂ったのです。
独り善がりの恋を始めてしまったのです。

顔には出さず。
口にも出さず。

耳なしの  山のくちなし  えてしがな  思ひの色の  下染めにせむ

上手に梔子の色で染められたものです。

御存じなかったでしょう?
私のこのような思いなど。

このように仰ったではありませんか。

「愛ちゃんは○○さんが好きなんだよね?」

ええ、それも間違いでは御座いません。
けれど、我が君。
それ以上に私は貴方様をお慕いしていたのです。
胸の内を焦がすようなモノではありませんでしたが、
心の底に積もった思いは、
踝を越え、膝を越え、胸に迫り、頭の天辺まで覆い尽くす程。
貴方様への思いに、じわりじわりと溺れていったのです。

けれど、私は貴方様にその気持ちを見せることはありませんでした。
既に、人の夫であったのですから。

また、私が貴方様を愛したのは、貴方様が私に見せた言葉だけなのです。
故に。
男と女の愛ではなかったのです。
言の葉の恋だったのです。

貴方様が御隠れになられたと聞いたときに、
私の胸に去来したもの、それを貴方様がお聞きになったらどう思うか。

貴方様の居ない深い深い悲しみと、針先程の仄暗い歓喜。
ああ、ようやくあの方に伝えられるのだ、と。
私のこの独り善がりの言の葉の恋を伝えられるのだと。
ああ、ようやくあの方がどこにいるかわかったのだ、と。
彼岸、いつかは私も辿り着く彼岸。
ああ、ようやく終えられるのだと。
私のこの独り善がりの言の葉の恋が終わるのだと。

貴方様に触れ得ぬ深い悲しみを。
ほんの少しの歓喜で塗り潰して。

この恋文を書き終えたら、その中へ私のありったけの思いを乗せて、
貴方様の元へ届けましょう。

扇で隠した私の口元が、にんまりと弧を描くのを感じております。
また、頬をつうと伝う熱いものも。
きっと貴方様はこれを読んで、とてもバツの悪い顔をするのでしょう。
そして、頭を掻きながら「困ったな」と一言だけ。

さあ、どうぞ御笑覧あれ。
その笑いがたとえ、苦いものであったとしても、ね。
これは貴方様への文なのですから。

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