2018年6月1日金曜日

眠らせるもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。


最近はゲームにばかり明け暮れていたのだが、
ふ、とやる気が切れた。
布団に寝転がりながら書架に目をやると、
川端康成氏の「眠れる美女」が目に留まった。
川端氏の作品の中でも、昏く頽廃的で、実に官能の香り溢れる作品だ。
三島由紀夫氏が
「デカダン気取りの大正文学など遠く及ばぬ真の頽廃」
と称したものである。
三島氏の代筆ではないかとも噂されるこの作品。
数度映画化されているようだ。
ドイツで製作されたものを鑑賞したいのだが、
やはりDVDを購入するよりほかはないのだろうか……。



閑話休題。


中島敦氏の「山月記」を御存じだろうか。
中国は唐代、詩人となる夢に敗れ官吏となった李徴(りちょう)が虎に変じ、
知己である袁傪(えんさん)に、その人生を話して聞かせる……という内容だ。
清朝の「人虎伝」がベースとなっているようだ。
そちらは未読である。

さて、この「山月記」。
李徴が虎に変じた理由を「己の自尊心と羞恥心、怠惰の心」と、
袁傪に語って聞かせ、慟哭する。
この心が虎だったのだ、と。

「人はそれぞれ己の中に昏い者を飼っている」
それが私の持論である。
人には見せられぬ何か。
真っ直ぐに見つめてはいけないけれど、
真っ向から相対しなければ食われてしまう何か。

それが、李徴の中の「虎」だと思っている。

勿論私の中にも「虎」は居る。
普段は私の心の奥底で眠っている「虎」だが、
何の気まぐれか、轟々と、餌を寄越せと、起きて吠えたてるのだ。
吠えたてられたこちらはたまったものではない。
足は竦み、冷や汗がどっと噴き出して、恐れ戦く。
吠え声に射竦められた「兎」のように。
何とか宥めに入るのだが、知ったことかと吠え続け、
「虎」が満足するまでの餌を用意しなければならない。
何故?
宥められなければ、「虎」に食われるのは、「兎」である私なのだから。

腹がくちくなれば、「虎」はまた束の間の微睡に落ちていく。
その横で、どうか目覚めませんように、とただ只管に祈る。
この微睡が、永遠に続きますように、と。

眠らせておかねばならないもの。
私の中の昏い片隅で、私の「虎」が眠っている。
真っ直ぐに見つめてはいけないもの。
真っ向から相対しなければ食われてしまうもの。

けれど。
それもまた私の一部である事にかわりはないのだ…。

貴方の中の「虎」は、目覚めているだろうか。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。