清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。
本日は相当長文で御座います。
皆様、御覚悟の程は宜しゅう御座いますか?
大昔の恋人と、私は一つの約束をした。
彼が「平成の村上春樹になる」と公言していたのだ。
故に私は「平成の谷崎潤一郎になる」と妄言を吐いたのだ。
それがもう二十年も前の話。
だけれども、私がそっと耽美の世界に足を踏み入れた時、
その地下へと続く階段は黒く、狭く、そして果てしなく続いていたのだ。
私はまだそれを下り続けている。
正直道半ばで諦めて、光有る上へと逃げたくもなる。
でも、もう帰れないのだ。
私の根底を流れる「谷崎潤一郎になる」という願いが、
私を一歩一歩下へ下へと導いている限り。
私のナオミははたしてどこにいるのだろうか。
朧に見えているのに、掴めない。
それを見つけぬ限り、私は帰れない。
閑話休題。
私は良くも悪くも影響を受けやすく、
最近は私が姉様と呼ぶ女性から影響を受けている。
恐らくなのだが、彼女と私の根底を流れるものは近似しているのだ。
故に影響を受けやすく、そして、琴線に響きやすい。
その彼女と話していて思った事。
私のシニックな態度に、不快感を覚える人も居るだろう。
勿論、それを見て快哉を上げる人も居て下さるのだが、
結局のところ、私のシニックは私の根底を流れる河の飛沫に過ぎない。
故に私の主張から外れず、且つ、少し変形している。
河の飛沫に一つとして同じ形などないのだから。
ただ、この根底を流れる河はいくつかの支流をもっている。
基本的には大きな河だが、その支流は河から分かたれ、
独自の川となったものだ。
故に、大きな河から見ると少し違う様に見えるかもしれない。
だが、結局のところは大きな河の支流なのだ。
遡れば全て一なのだ。
だから、
もしも私が普段申し上げていることと少し違うことを話したとしても、
それは支流の飛沫かもしれないのだ。
遡れば全て一の私。
私の根底を流れるものの一部なのだ。
シニックな私も、善人面をする私も。
セクシャルに生きる私も、純愛に生きる私も。
全て、全て、私の一なるものから生まれたのだ。
私の一なるもの。
私が私たりえるもの。
故に、あからさまに拒絶しないでほしい。
貴方が見ている私も、あの人が見ている私も。
それは全て私なのだから。
今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。
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