2022年11月6日日曜日

届かなかった恋文を【再び我が君へ】

 彼岸においでになる我が君よ。

此岸より文をお送りすることをお許し下さい。

貴方様は覚えておいででしょうか。
貴方様が私の手から零れた恋文を読んで、
大層満足げに微笑まれていたことを。
それらが全て届かなかった、否、届けなかったことを承知の上で。

故に。
また我が君に読んでいただけるように、
また書こうと思うのです。
届かなかった恋文を。
届けなかった恋文を。

お手に取り、どうぞご笑覧くださいませ。


我が君よ、長きに渡る無沙汰をどうかお許しください。
浮世の柵に疲れ果てていたのです。
否、現在進行形で疲れておるのですが…。

閑話休題。

今日の恋文はまた、我が君に届けようかと思うのです。

思い立ったのは、岡本かの子氏の「かの女の朝」を、
所要からの帰りの電車で読んだためでした。
「抒情的世界」
かの子氏が息子より言われたその一言が、
私の胸に深く深く突き刺さったのです。

私の綴る言の葉での抒情的世界。
それを、誰よりも愛して下すったのは我が君。
貴方様に他ならないのです。

私の抒情的世界に無粋な横槍が入ったとき、
即座に、そして烈火の如く怒って下すったのは貴方様でした。
捨て置けばよいと思っていた私に、
怒らなくてはならないと、態度で教えて下すったのは貴方様でした。

私の抒情的世界をこんなにも愛して下さる方が居る。
その事実に、私の心は歓喜に震えたのです。

「自分の抒情的世界の女主人に、いつもいつもなって居なさい」
岡本かの子 「かの女の朝」 より

私が私であって良いのだと。
そう、貴方様は仰って下さったのです。

我が君。
私の心を守って下すって有難う御座いました。
貴方様のお陰で、私は私で居られるのです。
貴方様のお陰で、今日に至ってもそれだけは変わらないのです。

絵を生業にされていた貴方様が教えて下すったポーの「黒猫」の表紙は、
私にとって忘れられぬ画となりました。
腐臭一歩手前の甘い甘い女の心は、
貴方様だけが手に取って下さいました。
貴方様の為だけに、毎日の様に抒情的世界を紡いでいたあの頃は、
とても楽しゅう御座いました。

もう、我が君の言葉を一言一句はっきりと思い出せなくなってしまいました。
晴天の下に刻まれた壁画が風雨に曝され、判読出来なくなるように。
けれども、確かに私の心には残っているのです。
私の言葉を愛した我が君のことを。
我が君の言葉を愛した私のことを。
さらりとしている癖にどこか妄執に似た、この気持ちを。

さあ、どうぞ御笑覧あれ。
我が君はきっとまた、苦笑いをなさるでしょうね。
それも仕方がないのです。
だってこれも、貴方様への恋文なのですから。

2018年11月4日日曜日

共存するもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。

二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。


今日は久方ぶりに学徒となっていた。
無論、人生は学び続けねばならぬものとは知りつつも、
ついつい怠惰の心が先に出てしまう。
聴講生として、しっかりと三つの講義を拝聴してきた。
そして思ったことなどをつらつらと書いていこうと思う。


二つの講義で「不倫しているが騒動にならない人」の話になり、
その中で講師の皆様はこのようなことを言っていた。

「何かで突き抜けていると、そういう人だと認識され、
ある意味アンタッチャブルな存在となる」

ああ、と妙に納得してしまった。
事実、自分が一時期その様な扱いをされていたからである。
一時期私は、「セックスモンスター」のような扱いを受けていた。
(まあ今もその手の扱いを受けることはあるのだが)

その扱いは決して間違いでもないし、
事実他人から見られた時に、己の行動はそう映るであろう事も自覚している。
故に仲の良い友人や知人にしか見せない一面であるし、
私の事をよくも知らない輩から揶揄されたら本気で怒るわけであるが……。


ただどうしても納得がいかなかったことがある。


「え?本気で惚れた?まさかぁ」

男に本気で惚れた時、
その事を報告した男の友人から大体返される言葉がコレだ。

「お前に限ってそれはない。続かないよ」

何故、「性的に遊ぶこと」と「恋愛すること」が同居しないのだろう。
本気で惚れたら、とてもとても大切にする。
パートナーとして選んで貰っても、選んで貰えなくても。
清廉な娘でなければ本気で惚れてはならないのだろうか。


「え?本気で惚れたの?じゃあ遊ぶのやめるんだね。良かったぁ」

男に本気で惚れた時、
その事を報告した女の友人から大体返される言葉がコレだ。

「え?違うの?どうして?意味わかんない!」

何故、「性的に遊ぶこと」と「恋愛すること」が同居しないのだろう。
確かに、本気で惚れたら多少大人しくはなるけれど。
パートナーとして選ばれない間は、何をしようが私の自由だろう?
清廉な娘でなければ本気で惚れてはならないのだろうか。


心に身体がついてくるのならよい。
けれど、ついていかないこともある。
好きという気持ちはありつつも、夜の生活が徹底的に合わないことや、
性的指向が違う場合。
本気で好きになった人が、ゲイだったらどうするのだ。
私は性的に相手にされないではないか。
アセクシャルな人が相手だったらどうする。
相手に渋々相手させるなんて苦行、私はごめんだ。
例えヘテロな指向をお持ちの人でも、相手にされないことだってあるのだ。

故に、私の中にはその二つが同居している。
日本人としての倫理観では「相反するもの」として定義づけられることが多いようだが、
私の中では「共存するもの」なのだ。

「性的に遊ぶこと」は唾棄すべき事柄ではない。
それは性の権利宣言に裏打ちされる、性の喜びへの権利の行使なのだ。
「恋愛すること」は神聖化すべき事柄ではない。
誰にでも起こりうることで、自然な心の情動だ。
ただそれだけなのだ。


逆に、身体に心が付いていくこともある。
一晩寝てついつい絆されて、なんてこともある。
夫が見事にこのパターンだ。
絆された結果、遠距離恋愛を経て、まんまと私の夫に収まっている。

夫との関係はいい具合に「性的に遊ぶこと」と「恋愛すること」が同居しているのだ。
「性的なこと」をタブー視もしなければ、特別なものとしても扱わない。
とても身近にあることであり、とてもフランクに接している。
故に私の夫が務まっているのだろう。
勿論、「繁殖行為」として行う場合には、特別なものとして扱ってはいるが。


そんなことをつらつらと考えつつ。
正しく学徒であった数時間は楽しかった。
もう少し勉強せねばなぁ。

2018年7月3日火曜日

届かなかった恋文を【彼奴めの話】


彼岸においでになる我が君よ。
此岸より文をお送りすることをお許し下さい。

貴方様は覚えておいででしょうか。
貴方様が私の手から零れた恋文を読んで、
大層満足げに微笑まれていたことを。
それらが全て届かなかった、否、届けなかったことを承知の上で。

故に。
また我が君に読んでいただけるように、
また書こうと思うのです。
届かなかった恋文を。
届けなかった恋文を。

お手に取り、どうぞご笑覧くださいませ。



次の文は、義姉弟と契りを交わした弟分の事。


本日は少々伝法な、またおきゃん…いえ、
少々蓮っ葉な口になるやもしれませんが、どうぞ御目溢しを。
いえね?どうしても彼奴めの話になりますと、
そういう口が出るもんでして、ハイ。
彼奴(きゃつ)めと知り合いましたのは、
あたくしも彼奴めも十九の歳に御座いました。
当時はメールフレンド募集掲示板なんてものが御座いましてね?
そこで知り合ったのが彼奴めで御座います。

「講談師見てきたような嘘をつき」とは申しますが、
あたくしも奴に対してそれをやったってえな口でして。
お互い読書が好きだったんですがね、ええ。
ですがね、どうにも趣味が合わない。
あたくしが好きなのは、アガサだ、横溝だ、江戸川乱歩だなんて。
所謂「推理小説」と言われる奴だ。
ところがどっこい彼奴が好きなのは京極夏彦だ、なんだかんだと、
まるっきり趣味が合いやしない。

それじゃあしようがねえってんで、あたくしの方から歩み寄っていったわけです。
ただねぇ、あたくしもまるっきり読んだことのないもんだからね?
想像で話すしかないわけだ。
こりゃ下手打ったかなと考えちゃあいたんですがね?
ところがどっこい何が上手いこと行くかわからねえもんですな?

「その想像力と度胸が気に入った」
と、こう来たわけですよ。

さあそれからお友達としてお付き合いを始めたが、
妙にウマがあうんだ。これが。
よくよくもって話を聞いてみると、
同年の生まれは知っちゃあはいたが、誕生日が一日しか違わない。
あたくしが七月の三十一日、彼奴が八月の一日ってなもんだ。
彼奴が面白がってね、「姐様(あねさま)」なんて呼ぶもんだからね?

「ようし、じゃあテメェは今日からアタシの弟分だ!」

今生で、生きてる内は義理の姉弟と定めたのが、
出会って一年も経たない内。
手前が北海道、彼奴が東京だったもんで、杯こそは交わしちゃおりませんがね。

会う機会もないままに、付き合いだけは続いていき、
互いに迎えた三十路の手前。
ひょんなことから会うことになった。
彼奴の夢が叶い、世話になった御仁に挨拶周りの途中。
たまたまアタクシと会うことになりましてね。

ならば一晩語り明かそうぞと、
宿は同じ部屋を取った……のが事の起こりで御座います。

年頃の。
男と女が一部屋で。
「武士は食わねど高楊枝」なんて殊勝なこともなく。
うっかりと踏み入れたるは同じ閨。
くんずほぐれつしっぽりと。
更けゆく夜の甘さかな。

ところがね、お互い途中で気付いちまった。
褥自体は甘くとも、とんと心が通っていないと。
理無い仲には成れぬであろうと。

次の日の朝には、そんな甘さは雲散霧消。
互いに親友の面で、義理の姉弟の面で、観光を敢行したわけ。

その後は、互いに理無い仲の異性が居ないときにだけ、
乞われる侭に、乞う侭に、彼奴めの耳元で甘く鳴いておりましたが、ね?
それでも終われば無二の親友。

互いに伴侶を得た今では、旧友としてのお付き合いを。

ただね、もう一回でいいんだ。
もう一回だけでいいから。

昔やったように、
彼奴めと本気で言葉での殴り合いをしてみたいもんですよ。
昔の勝敗?
彼奴めに勝ったのは数回といったところ。
負け星なんて数えたくもないね!

今なら引き分けにもってけそうなんですけれどねぇ?


ん?これっぱかりも恋文ではない?
そりゃあそうですよ。
彼奴めはね、あたくしに言ったんです。

「姐様と一緒に地獄に落ちるとしたら?馬鹿な事を聞くんじゃないよ。
きっぱり獄卒に言うよ。『チェンジ!』って!」
「そっくりそのまま熨斗付けて返してやらぁ!」

そんな二人ですもの。
そんな口論を、誰憚ることなく出来る間柄ですもの。
甘いモノなんて、ねぇ?

笑って頂くことは、出来るでしょうけれど!
さぁ文字通り、御笑覧あれ!

2018年6月1日金曜日

眠らせるもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。


最近はゲームにばかり明け暮れていたのだが、
ふ、とやる気が切れた。
布団に寝転がりながら書架に目をやると、
川端康成氏の「眠れる美女」が目に留まった。
川端氏の作品の中でも、昏く頽廃的で、実に官能の香り溢れる作品だ。
三島由紀夫氏が
「デカダン気取りの大正文学など遠く及ばぬ真の頽廃」
と称したものである。
三島氏の代筆ではないかとも噂されるこの作品。
数度映画化されているようだ。
ドイツで製作されたものを鑑賞したいのだが、
やはりDVDを購入するよりほかはないのだろうか……。



閑話休題。


中島敦氏の「山月記」を御存じだろうか。
中国は唐代、詩人となる夢に敗れ官吏となった李徴(りちょう)が虎に変じ、
知己である袁傪(えんさん)に、その人生を話して聞かせる……という内容だ。
清朝の「人虎伝」がベースとなっているようだ。
そちらは未読である。

さて、この「山月記」。
李徴が虎に変じた理由を「己の自尊心と羞恥心、怠惰の心」と、
袁傪に語って聞かせ、慟哭する。
この心が虎だったのだ、と。

「人はそれぞれ己の中に昏い者を飼っている」
それが私の持論である。
人には見せられぬ何か。
真っ直ぐに見つめてはいけないけれど、
真っ向から相対しなければ食われてしまう何か。

それが、李徴の中の「虎」だと思っている。

勿論私の中にも「虎」は居る。
普段は私の心の奥底で眠っている「虎」だが、
何の気まぐれか、轟々と、餌を寄越せと、起きて吠えたてるのだ。
吠えたてられたこちらはたまったものではない。
足は竦み、冷や汗がどっと噴き出して、恐れ戦く。
吠え声に射竦められた「兎」のように。
何とか宥めに入るのだが、知ったことかと吠え続け、
「虎」が満足するまでの餌を用意しなければならない。
何故?
宥められなければ、「虎」に食われるのは、「兎」である私なのだから。

腹がくちくなれば、「虎」はまた束の間の微睡に落ちていく。
その横で、どうか目覚めませんように、とただ只管に祈る。
この微睡が、永遠に続きますように、と。

眠らせておかねばならないもの。
私の中の昏い片隅で、私の「虎」が眠っている。
真っ直ぐに見つめてはいけないもの。
真っ向から相対しなければ食われてしまうもの。

けれど。
それもまた私の一部である事にかわりはないのだ…。

貴方の中の「虎」は、目覚めているだろうか。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2018年3月27日火曜日

禍福は糾える縄の如し

清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。
今回はちょっと重め。
お許し下さいましね。
次はきっと、いつもの私に戻りますから。


さて。
まぁ色々と間が空きましたので…。
その間の事でもつらつらと書こうかと。

なに、最初はほんの小さな躓きだったのです。
ほら、よく御座いますでしょう?
人生におけるちょっとした躓き。
引っ掛かって、大地と熱い接吻を交わしたところから始まるのです。

普段の私でしたら何のことはなかったその躓きも、
立ち上がろうとする度に転び、転んでは立ち上がり…。
まるで幼子が歩行を学ぶ時の如く、転倒を繰り返していたのです。
そこで気付けば良かったのです。

「ああ、疲れているのだな」

と。
必要なのは多少の休養だったのですが…。

弱り目に大体やってくるのは大変なお誘い。
「うちに来ないか?」
という、第二世界でのお誘いに乗ってしまったのが11月。

そこから1月までは生活と第二世界での生活に追われる日々。
気が付けば襤褸になっていたのです。

「ねえ、なんで第二世界でまで疲れてるの?」

そんな夫の一言で漸く目が覚め、
1月の末に第二世界に入れなくなりました。
いや、物理的にではなく精神的に。

2月をぼうっと過ごして、心も多少癒え、
そろそろ3月になろうかという頃。
乳房に異変を感じ、妊娠検査薬で検査してみると、
陽性の反応。子供を授かったようなのです。

私は余りの動揺で、検査薬を持つ手が震えておりました。
検査薬が手から滑り落ちていきます。
動揺はしばらく収まらず、何度も検査薬で検査をしましたが、
結果は変わらず。当然です。

そもそも我が家は、
「子供は基本的に作らない。自然と出来たら考える」
というスタンス。

それが出来てしまったのです。
準備も何もあったものではありません。
そもそも私の心の準備が出来ておりませんでした。

育てられるのか?
親となれるのか?
そもそもお金は?
部屋はどうする?

そんなことをぐるぐると考えながら過ごすことしばし。
突然の出血に慌てて病院へ行くと、
妊娠の確定診断を頂きました。

腹を括ったのは、恐らく病院に行ったときでしょう。
胎胞を見た時に、我知らず微笑んでいたのです。

「ああ、これなら何とかなるだろう」

夫にエコー写真を見せたところ、
とても喜んでくれたのも、後押しとなって、
母になる覚悟を決めました。

そこから頑張って妊婦をしていたのですが…。
心拍が確認できた次の週の診察での事。

先生がエコーの機械を動かしながら慌てています。
「お腹の子が残念な事になっている可能性が高い」
と先生から告げられました。
実際、私がエコーの画面を見ても心拍がわからないのです。
前回はあんなにはっきり見えていたのに…。

覚悟はしておりました。
出血も多く、張りや痛みもかなりありましたし、
私自身の年齢の問題もあります。

たまたま旅行中であった夫に申し訳ないと思いつつ、
報告をして…。

今日妊娠初期での稽留流産と確定の診断を頂きました。
必要な処置はまた後日。

勿論落ち込んでいるのはいるのですが…。

何となくではありますが。
またすぐ会える気がするのです。
故に、始めた準備は止めるつもりはなく。

禍福は糾える縄の如し。
禍が今目の前に居るのですから、
次に来るのは福であると信じながら。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2018年1月4日木曜日

届かなかった恋文を【我がいとし子へ】

彼岸においでになる我が君よ。
此岸より文をお送りすることをお許し下さい。

貴方様は覚えておいででしょうか。
貴方様が私の手から零れた恋文を読んで、
大層満足げに微笑まれていたことを。
それらが全て届かなかった、否、届けなかったことを承知の上で。

故に。
また我が君に読んでいただけるように、
また書こうと思うのです。
届かなかった恋文を。
届けなかった恋文を。

お手に取り、どうぞご笑覧くださいませ。


次の文は決まっているのです。
我がいとし子の事。


我がいとし子。
そう、我夫(わがつま)の事で御座います。

あの子は、愛された子でした。
色んな人に愛された子でした。
けれど、人一倍苦労した子でもありました。

愛された子故に、その苦労も思い出になったようですが…。
苦労の割に、光差す方へ、光差す方へと歩いておりました。
暗がりを好んで、陰から陰へと動く私とは正反対に。

それを呼び止めたのは、確かに私で御座います。
最初は、ほんの気まぐれに過ぎませんでした。
光差さぬ道もあるのだと教えたくて。
その結果、絆されたのも私。
あの子が、一生懸命に応えてくれたから。

光差す方へ一緒に行こうと、強請ってくれたから。
あどけない子供のように、私の手を引いて。
明るい方に行こうと。

だから、私はあの子を夫にしたのです。

陰へ陰へと動く私は変わりません。
結婚しようと、どうしようと、この陰が私の生きる道なのですから。
けれど、それが前程は辛くないのです。

あの子が光差す道を往くのなら、その陰の道を私が往くのです。
互いの足裏を踏み締めながら、同じ方向に向かって往く。
我がいとし子は陽の道を。私は陰の道を。
夫婦で陰と陽を踏み締めながら。


さあ、どうぞ御笑覧あれ。
ええ、我が君。
我夫は、この様な漢なのですよ。
お気に召して頂けましたかしら?

2018年1月3日水曜日

謹賀新年

皆様、明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。
本年も、どうぞよろしくお願い致します。

清水 愛

2017年12月4日月曜日

届かなかった恋文を 【彼の方へ】

彼岸においでになる我が君よ。
此岸より文をお送りすることをお許し下さい。

貴方様は覚えておいででしょうか。
貴方様が私の手から零れた恋文を読んで、
大層満足げに微笑まれていたことを。
それらが全て届かなかった、否、届けなかったことを承知の上で。

故に。
また我が君に読んでいただけるように、
また書こうと思うのです。
届かなかった恋文を。
届けなかった恋文を。

お手に取り、どうぞご笑覧くださいませ。


次の文は決まっているのです。
彼の方の事。

覚えておいででしょうか。
貴方様が私に言ったことを。
「愛ちゃんは○○さんが好きなんだよね?」

その方の事で御座います。

ええ、仰る通り。
お聞きになった時には、咄嗟に誤魔化しましたが。
私は彼の方を女として想っておりました。

けれど。

確かに逢瀬も御座いました。
肌身を晒して睦みおうた日々も御座います。

けれど。

この肌身に幾度となく紅い花と白い花を咲かせようとも。
幾度彼の方と睦みおうたとしても。
どれほど私が彼の方を想ったとしても。

彼の方に契る気持ちがないのならば、
彼の方と私の間に通うものはないのです。

彼の方と契る事を夢見るのが、私の至上の幸せで御座いました。
なれど。
それは儚い夢。

その後はもうご存知でしょう。

恋の行く末 松葉の末掛けて

二心を持ちながら、肌身を晒す事のなんと愚かな事か。

愛しながら、憎みながら。
其れでも離れられぬ己が身の上を嘆きつつ。
私は、彼の方を想ったのです。

一夜で咲いた恋の花は、私の想いに焼かれながら、
ゆっくりと枯れていき、そして散ったのです。

散り際に、忘れ得ぬ傷を残して。

もしも彼の方がこの文を読んだなら。
きっと、己の事だと気付かないでしょう。

傷を残したなどと、彼の方は考えてもみないでしょうから……。


さあ、どうぞ御笑覧あれ。
二心の片割れ?誰に抱いたか?
貴方様ですよ、我が君。

2017年11月26日日曜日

届かなかった恋文を 【愛しの我が君へ】

彼岸においでになる我が君よ。
此岸より文をお送りすることをお許し下さい。

貴方様は覚えておいででしょうか。
貴方様が私の手から零れた恋文を読んで、
大層満足げに微笑まれていたことを。
それらが全て届かなかった、否、届けなかったことを承知の上で。

故に。
また我が君に読んでいただけるように、
また書こうと思うのです。
届かなかった恋文を。
届けなかった恋文を。

お手に取り、どうぞご笑覧くださいませ。



最初の文は、そうですね。
やはり、我が君。
貴方様の事が宜しいでしょうか。

…貴方様は、私の綴る言葉を愛して下さいました。

私の綴る言葉をあそこまで愛してくださった方は、
後にも先にも貴方様お一人だけ。

その後に付ける貴方様の感想は、実に官能溢れるものでした。
品性を失わず、さりとて残り香として印象付ける程には。

その言葉遣い、文章の組み立て方、間の空け方。

全て、全て。

私の理想の殿方で御座いました。

有体に申し上げますと、あの時から私は貴方様に狂ったのです。
独り善がりの恋を始めてしまったのです。

顔には出さず。
口にも出さず。

耳なしの  山のくちなし  えてしがな  思ひの色の  下染めにせむ

上手に梔子の色で染められたものです。

御存じなかったでしょう?
私のこのような思いなど。

このように仰ったではありませんか。

「愛ちゃんは○○さんが好きなんだよね?」

ええ、それも間違いでは御座いません。
けれど、我が君。
それ以上に私は貴方様をお慕いしていたのです。
胸の内を焦がすようなモノではありませんでしたが、
心の底に積もった思いは、
踝を越え、膝を越え、胸に迫り、頭の天辺まで覆い尽くす程。
貴方様への思いに、じわりじわりと溺れていったのです。

けれど、私は貴方様にその気持ちを見せることはありませんでした。
既に、人の夫であったのですから。

また、私が貴方様を愛したのは、貴方様が私に見せた言葉だけなのです。
故に。
男と女の愛ではなかったのです。
言の葉の恋だったのです。

貴方様が御隠れになられたと聞いたときに、
私の胸に去来したもの、それを貴方様がお聞きになったらどう思うか。

貴方様の居ない深い深い悲しみと、針先程の仄暗い歓喜。
ああ、ようやくあの方に伝えられるのだ、と。
私のこの独り善がりの言の葉の恋を伝えられるのだと。
ああ、ようやくあの方がどこにいるかわかったのだ、と。
彼岸、いつかは私も辿り着く彼岸。
ああ、ようやく終えられるのだと。
私のこの独り善がりの言の葉の恋が終わるのだと。

貴方様に触れ得ぬ深い悲しみを。
ほんの少しの歓喜で塗り潰して。

この恋文を書き終えたら、その中へ私のありったけの思いを乗せて、
貴方様の元へ届けましょう。

扇で隠した私の口元が、にんまりと弧を描くのを感じております。
また、頬をつうと伝う熱いものも。
きっと貴方様はこれを読んで、とてもバツの悪い顔をするのでしょう。
そして、頭を掻きながら「困ったな」と一言だけ。

さあ、どうぞ御笑覧あれ。
その笑いがたとえ、苦いものであったとしても、ね。
これは貴方様への文なのですから。

2017年11月19日日曜日

息を吸って、毒を吐く 【愛憎編】

清水愛だって人間である。
綺麗事ばかり言っているわけにはいかないのである。
かといって吐き散らすわけにもいかない。

故に。
なるべく纏めて毒を吐く。

故に。
纏めて毒を吐く場合には、
タイトルできちんと先に宣言する。

見たくない方はここから回れ右。












警告はしたからね?
君も物好きな御仁だね。
じゃあ、僕の狂乱に少しだけ付き合っておくれ。
単なる詭弁の置き場所かもしれないけれど。





【醜聞の真実】


君、ゴシップ紙好きだよね。
たまには小説の一冊でも読みゃいいのにって思う。

でもさ、君が楽しそうに喋ってるその醜聞(すきゃんだる)。
『真実の○○』とかって謳い文句だけどさ、それ…。

ホントにホントに真実かな?

単に事象の積み上げなんじゃないの?

関係者に話聞いただけなんでしょ?
なんかの証拠が出てきたわけでもないんでしょ?
誰かが嘘ついてたらどうするの?
全ての人が事実を語るなんてどうしてわかるのさ?
ついでにさぁ。

其れが事実・事象のの積み上げだったとしても、
本人含む関係者が皆一堂に会して自分の偽りのない心情を語る以外に、
真実なんてないんじゃないの?

醜聞なんだもん。
偽りのない心情なんて語るわけないじゃない☆





【愛情の消費期限】


あれ?ないと思ってた?
意外と君純粋なんだね。
気付いてないかもしれないけど、愛情ってナマモノなんだ。
それもとても足の早い。

鮮度管理をきっちりしてたら殆ど腐らないんだけどね。
鮮度管理?
「その人の愛する異性から好意を寄せられること」が何よりの管理さ。

腐ったら?
あ、知らなかった?

万が一腐っちゃった場合「憎悪」に変質しちゃうんだ。
それも不可逆的に。
え?不可逆的?
つまり2度と「愛情」に戻らないって事。

管理してた「愛情」が多ければ多いほど、
「憎悪」も同じ数だけ発生しちゃうんだ。
同時多発的にね。
背中と、闇夜に気を付けてね☆





【デモデモダッテ】


『デモデモダッテ』な人間は実に素直だ。
自分の感情に。
僕らはいつも言うんだよ。

「それじゃいつまで経っても同じでしょう?変わらないよ」
『デモデモダッテ』
「悩んでいるなら動かなきゃ」
『デモデモダッテ』

だけどね、覚えておいて?

僕らだって君の『デモデモダッテ』に付き合ってる程、
暇でも君に構われたいわけでもないんだよ?

『デモデモダッテ』は期間限定だから覚えておいてね☆




【理想の女】


僕が理想の女に見える?
そりゃあ重症だ。
君は早急に眼科医と精神科医に受診した方がいい。
いい医者を紹介してあげよう。

あ、そうじゃない?
理想の女を見つけた?
ふぅん…。

ねぇ、その女性。
君の『幻想』なんじゃないの?

君が見たいだけの彼女を見て、本質の彼女を見てないんじゃない?
その彼女が君がげんなりすることをしていたとして、君、その彼女愛せる?
愛せるなら別に僕何にも言わないよ。

女は『幻想の対象』じゃないよ?
現実を生きるイキモノだ。

場合によっちゃ、君の上で腰を振ってよがっちゃうイキモノさ。
君が気持ちよかろうがどうだろうが、道具扱い出来ちゃうイキモノ。
其れさえわかってればオールオッケーさ☆




ほら、毒ばっかりだっただろ。
君も良くこれに最後まで付き合ったね。
ホントに、君、物好きというか酔狂だよね。

ま、そんな君だから好きなんだけどね。
ありがとう。
また、付き合ってくれると嬉しい…かな。

2017年11月6日月曜日

根底を流れるもの

清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。
本日は相当長文で御座います。
皆様、御覚悟の程は宜しゅう御座いますか?


大昔の恋人と、私は一つの約束をした。
彼が「平成の村上春樹になる」と公言していたのだ。
故に私は「平成の谷崎潤一郎になる」と妄言を吐いたのだ。
それがもう二十年も前の話。
だけれども、私がそっと耽美の世界に足を踏み入れた時、
その地下へと続く階段は黒く、狭く、そして果てしなく続いていたのだ。
私はまだそれを下り続けている。
正直道半ばで諦めて、光有る上へと逃げたくもなる。
でも、もう帰れないのだ。
私の根底を流れる「谷崎潤一郎になる」という願いが、
私を一歩一歩下へ下へと導いている限り。
私のナオミははたしてどこにいるのだろうか。
朧に見えているのに、掴めない。
それを見つけぬ限り、私は帰れない。


閑話休題。


私は良くも悪くも影響を受けやすく、
最近は私が姉様と呼ぶ女性から影響を受けている。

恐らくなのだが、彼女と私の根底を流れるものは近似しているのだ。
故に影響を受けやすく、そして、琴線に響きやすい。
その彼女と話していて思った事。


私のシニックな態度に、不快感を覚える人も居るだろう。
勿論、それを見て快哉を上げる人も居て下さるのだが、
結局のところ、私のシニックは私の根底を流れる河の飛沫に過ぎない。
故に私の主張から外れず、且つ、少し変形している。
河の飛沫に一つとして同じ形などないのだから。

ただ、この根底を流れる河はいくつかの支流をもっている。
基本的には大きな河だが、その支流は河から分かたれ、
独自の川となったものだ。
故に、大きな河から見ると少し違う様に見えるかもしれない。
だが、結局のところは大きな河の支流なのだ。
遡れば全て一なのだ。

だから、
もしも私が普段申し上げていることと少し違うことを話したとしても、
それは支流の飛沫かもしれないのだ。
遡れば全て一の私。
私の根底を流れるものの一部なのだ。

シニックな私も、善人面をする私も。
セクシャルに生きる私も、純愛に生きる私も。
全て、全て、私の一なるものから生まれたのだ。

私の一なるもの。
私が私たりえるもの。

故に、あからさまに拒絶しないでほしい。
貴方が見ている私も、あの人が見ている私も。
それは全て私なのだから。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年10月25日水曜日

渇望するもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。
本日は相当長文で御座います。
皆様、御覚悟の程は宜しゅう御座いますか?

先日、思い立って禁煙をした。
禁煙三日目が非常に辛いとツイッターで励まされながら、
実際に三日目は厳しかった。
普段「吸いたい」という気持ちに苛まれることなどないのにも関わらず、
あの時だけは無性に吸いたいと思った。

「ああ中毒ってこういう事ね」

と布団の中で苛まれながら思ったものだ。


閑話休題。


最近ではオカン属性やら、おばちゃん属性やらがついた私だが、
昔はもっと違う名前で呼ばれたものだ。

「恋愛中毒」「恋愛体質」「男が居ないとダメな女」

…否定はしない。
事実そうであったから。

そうしたのは、たった一人の男。
そう、たった一人。
今日はその男の思い出を話したいと思う。
寒い日だから思い出すのだから。

一人、私が十年想った男が居た。
二十歳から三十歳になるまで。

そして、その間で実際に彼の肌に触れたのはたった四回。
それで十年想い続けたのだから我ながら凄いと思う。
もう執念と言ってもいい。
よく私が戯れに「年増の深情け」なんて言うが、
それも真っ青になって逃げだす程の執念。
こればかりは六条御息所にだって負けないと思う。

今になって考えれば、バカ野郎と己の頭をぶん殴りたくなる。
その男に関わるな、と。
もっといい男が目の前にいるぞ、と。
だがその時の私は、兎にも角にもその男を欲した。
熱病のような恋に浮かされながら。

正しく「渇望」したのだ。
喉が渇いた人が水を欲するように。
何がそうさせたのかはわかっている。

恋愛の初期によく起こる、不思議なシンクロニティ。
それが立て続けに起こってしまった。
私は彼を「完全」に理解したと勘違いしてしまった。
彼も私を「完全」に理解してくれたと勘違いしてしまった。

そして、「私が居なければこの人はだめなのだ、私が救わなくては」と。
あろうことかメサイアコンプレックスまで引っ張り出してしまったのだ。
だが、メサイアコンプレックスを引き出してしまったのは私だけではなく…。
彼も同じように引き出してしまったのだ。

その行きつく先はもう見えているだろう。
「共依存」だ。
互いにとってなくてはならない関係に成ったのだ。
非常に悪い意味で。
今となっては疑問なのだが、私は本当にひと時でも彼を想ったのだろうか?
あの十年は単なる共依存の一形態だったのではないか?
……まぁ、その答えは今も出ないのだが。

おまけにその過程として、性癖を開発されてしまった。
彼は征服者として、私は隷属者として。
それ以降、私は愛玩されるものとして彼の元に居た。
彼に言われるままに他の男とも寝たし、
彼の命令ならば何だって聞いた。
社会的にまずい事だって出来たし、嬉々として報告もした。
強請られるままに金を差出し、気が付けば借金の連帯保証人に。
自分の身と心と社会的信用を傷つけながら生きていた。

だが、そんな熱狂的な時間も、覚める瞬間がやってくる。

先に覚めたのは私の方だったようだ。
少しずつ彼の隷属から離れ、他の男に目を向けだして、鞍替えした。
会ってくれて、愛してくれて、私を大事にしてくれる男に。

そこからしばらくの私は酷かったように思う。
本当に、男が居なければ、誰か想う相手が居なければ、
動くこともままならないような状態だったのだ。

それでも、彼からメールが来れば嬉しかったし、
通話があれば嬉々として出たのだが…。

完全に夢から覚めたのは、今から六年前。
平成23年10月。東日本大震災があってから約半年経った頃だ。
彼はあの震災の日、被災地…仙台に居たのだ。

その時には私を想ってくれる人も被災地に居たのだが、
その人は震災から一日で何とか無理やりにでも連絡をくれた。
安心したのも束の間、彼からの連絡は待てど暮らせど来やしない。

生死不明。
その時病院に入院していたはずだったのだが、
何処を調べても分からない。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて…。
涙も枯れた頃、涙と一緒に想いも消えていた。
冷たい奴と思って頂いて結構だ。
本当に、綺麗さっぱり流れてしまったのだから。

それから半年後の10月。丁度今頃だったはずだ。
彼からのメールが一通。
「生きてるよ」

何の情動も起こらなかった。

何と返したか覚えてはいないが、
丁度お付き合いを始めたばかりの夫に報告した様な気がする。

十年見続けた夢は、あっさりと覚めた。
昔はよく思い返したものだが、最近はその機会もめっきりと減った。
会うこともままならず目に焼き付けた写真の顔と、
電話越しに聞こえる声だけは、はっきりと覚えているんだけれども、ね。

「愛してる、アイ」

私が欲しくて欲しくて堪らなかったその台詞だけ。

「アイはホントにバカだなぁ」

無邪気に笑いながら私を構う台詞だけ。

その二つだけはやけにはっきり覚えている。
きっとその二つだけは忘れないんだろう。
若かった自分への戒めとして。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年8月31日木曜日

欠かせないもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。

あまりに久方ぶり過ぎて何を書いたらよいやらと思っていた。
そんな中、ツイッターでついうっかり見つけてしまった方。
若かりし頃に友人に戴いた本に載っていた方。
ドラァグクイーンのお姉様方のツイッターアカウント。
凄く凄くテンションが上がってしまった。
その勢いでしたためてみる。
雲の上のお方のお声を直に聞けるのである。
憧れのあの方達が考えていたりしていたりすることを、
リアルタイムで受信できちゃうのである。
速攻でフォローした。
途方もなくいい時代になったものだ。


閑話休題。というか、ちょっと落ち着こう、私。


さて。
このブログを開設した時に、
多少性的な話題はツイッターの方ではなく、
こちらでやると決めていた。
理由は簡単だった。
あちらでやると字数が圧倒的に足りないのだ。

かといって自分で自分にリプライを飛ばすのもアレだなー…

だったらブログでやればいいじゃん

という非常に短絡的な考えだったのだ。

ガッツリ性的な話題はやらない。
あくまでも『多少』の域を出ない範囲でやっていくつもりだ。
今日はちょっとソッチよりの話題。

私の若かりし頃というのは、
インターネットがピーガガガーの時代である。
ダイアルアップ若しくはISDNだった頃の話である。
テレホーダイがわかる人は画面の前で挙手していただきたい。

そんな時代だったものだから、
インターネットで収集できる情報というのは、
今のように多種多様ではなく、
「知る人ぞ知る」情報だったのだ。

ただ、田舎に住んでいる私としては、
非常に重要な情報ばかりだったのだ。
何故なら、その当時まだ成人したかしないかの私には、
得難いフェティッシュな情報が多々あったのだから。
(年齢を暈すのは年齢制限的な物故に平にご容赦を…)

都会に行けば、フェティッシュな情報も、
参加可能なフェティッシュなイベントも多数ある。
だが、私は田舎の成人したかしないかの女性。
有体に言えば、しがない田舎娘だったのだ。

そんなのが、
「フェティッシュなイベントに参加するために上京」
なんて出来るはずもなく…。
手に入れられる範囲のその手の雑誌を手元に集め、
指を咥えて見ているだけしか出来なかったのだ。
数か月前に終わったイベントを手元の写真だけで見つめる日々。
焦がれても手の届かないものがそこにはあった。

それが、一日二日で写真やら文章やらでホームページにUPされる。
其処のホームページの主と仲良くなれば、
直接詳しく聞くことが出来る。
生の空気のお零れに与る事が出来る。
もうそれだけで感動だったのだ。

指を咥えて見ているのは変わらないが、
空気に触れられるか否かは大きな隔たりだ。

しかし、インターネットの普及により更に事情は変わってくる。
情報は更にリアルタイムで配信されるし、
ややもすると動画で見ることが出来る。

今のインターネットに慣れた人達からすると、
きっとそれは当たり前の事なのだろうけど…。
これは当たり前ではなかったのだ。

その手の本を探すのもまず一苦労。
だってまだその頃某大手通販会社なんて、
誰の口の端にも上がらなかったのだから。
都会なら少し薄昏い場所に行けば手に入ったであろうものも、
こちらではさらに手に入らなくなる。
手に入る書店はかなり貴重だった。

おまけにうら若い女性である私には手に取り難い本ばかり。
故に、似たり寄ったりの性癖をお持ちの殿方に、
借りたり、私の代わりに購入していただいたり…。
逆にあちらが手に取り難い本などを融通したり、
その手の書籍が手に入る本屋を教えたりと、
持ちつ持たれつな関係を作らねば手に入らないものだったのだ。
人脈がモノを言う時代だったのだ。

ところが今はどうだ。

欲しい本があれば、検索すればすぐに判明する。
欲しければ、インターネットで注文してワンクリックで決済終了だ。
そこに、友人やら知人やらの手は介在しない。
殿御の前で恥じらいながら、「『○○』という本なのだけれど…」と、
己の性癖を曝け出さなくても良いのだ!
(まぁそれが楽しい時間の始まりだったりもしたのだけれど)

離れた地で行われているイベントの、
リアルタイムな情報も検索すればヒットする。
いちいち関係を積み上げなくとも、
赤の他人でも見られる場所に情報が置いてあったりもする。

それどころか、同じ性癖の持ち主のコミュニティだって、
検索すればピッと一発ヒット。
昔は「蛇の道は蛇」とばかりに、
そのコミュニティに属している人を探し出さねばならなかった。
それからその人と信頼関係を築き上げ、
そのコミュニティの一員と認められるまで信頼を積み上げる。
そんな小さな努力を積み上げて積み上げて積み上げて…。
漸く自分の好きなものに触れられる。
そんな時代だったのだ。
その分、至った時のカタルシスは途方もないモノだったが。

兎に角、田舎にいる情報弱者になりがちな私には、
インターネットは今や絶対に欠かせないものなのだ…。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年6月22日木曜日

奇なるもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。

皆様は「見世物小屋」に入ったことはおありだろうか。
私の小さい頃は決まって祭りに出ていたものだ。
おどろおどろしく、それでいて妙に惹きつけられる看板を見て、
入りたいと父に強請ったものだ。
その時決まって父が言うのだ。
「あそこにはとても怖いものが居るんだよ」と。
それでもいいと強請って入った中では、
簡単な誂えの舞台に半裸の女が上がっていた。
演目は今でも覚えているが、ここでは多くを語るまい。
子供心に強烈な印象を残してくれた、とだけ記しておく。

閑話休題。

「講釈師、見てきたように嘘をつき」とは言うが、
私が話す体験談は、実際に私が体験したことだ。
ただ少しだけ違うことは、
聞く方に解りよい様に、少しだけ時系列を弄ったり、
会話の内容を意訳を交えて語ったりする。

勿論それには理由がある。
ただ聞くだけでは理解が及ばない部分が発生するからだ。
自分なりに落とし込んだ内容で語らねば、
自分でもたまに「アレは本当の事だったのだろうか」と、
理解が出来ないこともあるからだ。

それに加え、エンターテイメント性を求めるという理由もある。
ただ単に「これこれこういうことがありましたよ」では、
単なる自分語りだ。
(既にこのブログがそうなっているように!)
笑って頂いたり、感嘆していただかなくては意味がない。
どうせ聞いていただくなら面白い方がいい。

よって、私は自分の体験を多少弄る。
本質的に一切変わらないように、ではあるが。
私の理解の為にも、他の方の理解の為にも。
そしてちょっとした笑いの為に。

「事実は小説よりも奇なり」なのだから。
多少ディティールを弄ったところで奇妙な体験は変わりはしないのだ。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年6月19日月曜日

密かなるもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。

「謀は密なるをもってよしとす」という言葉がある。
たくらみごとは秘密にするのが良いわけだ。
……が、大体秘密にしても、どこかから漏れるのが世の常。
なかなかうまくは行かないものである。
…しかし、アレは一体どこから漏れているんだろうな?
恐らく、「これは!」と思って共犯者にした奴から漏れているのだろうが。
「絶対秘密にする!」の一言ほど、あてにならないものはない。
「ここだけの話にしてね」の一言がある限り。

閑話休題。

さて、ある程度の年齢になってきて、
気になるのがお肌の状態だ。
女性としては非常に気になるところではある。
なるべく手入れには気を遣っているのだが、
どうしても行き届かないところというものは出るものだ。
スペシャルな手入れが必要になる時が増えた。

スペシャルな手入れのために、部分クレイパックを購入したのだが…。
夫と共に風呂に入っている時に使用したところ、
夫が何故か自分の顔を指でなぞっている。
どうやらそこにもパックしろ、という意味合いらしい。
夫の言うとおり指を動かし、鏡を見たところ…。

「どうみても鬼瓦権造じゃねぇか!」

という面になっていた。

その後、化粧水を叩き込み、シートパックを貼り付けて、
眼鏡を掛けてPCに向かう。
その姿を夫は冷めた瞳で見つめていた。

夫の視線を受けて思った。

「世の夫達はこのように妻に幻滅していくのだな」

と。

世の妻達よ。
共に色々と隠そうではないか。
夫達を幻滅させないために。
白鳥は水面下で足を動かし、美しく装っているのだ。
私は隠そうと思う。

せめて、クレイパックだけは夫の前ではしないようにしよう。

鬼瓦権造になるように誘導されないために。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年6月16日金曜日

似て非なるもの

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。

私はどうも「ブランド物」というものが似合わない人間だ。
美しいものは美しい人へ、という気質であるため、
「美的弱者の私が持つものではない」と常に言っている。
今までで使用したものでブランドといえば、
何故か伯母から貰ったdunhillの肩掛け鞄。
通勤用の鞄として愛用していたが、周りからよく「それ男物…」と的確な突込みを頂いた。
でも好きだったんだもの。あの質感…。
いいじゃない。メンズを女が使ったって。

閑話休題。

さて、とあるバーチャルワールドでの話。
最近はかなり良い物が出ていて、
私のアバターの容姿は若干遅れ気味だったりする。



く言われるのだが…。
「最新のアバターにしないの?」
「似たようなの買ってきて同じ感じに作ればいいじゃない」

新しいアバターにすることは、今の所考えていない。
何故なら、これは私の親友(男性)に作って貰った容姿だから。
彼が私の性格等々を考えあわせた上で2時間掛けて作ってくれた容姿だ。
そしてこれを使用して数年。愛着も湧くだろう。

其れよりなにより。
私の大事な親友が作ってくれた容姿だ。
そう易々と変えるわけにはいかないのだ。
似たような顔を作ればよいというわけではない。
幾ら似た顔にしたとしても、そうなればもう彼が作った顔ではなくなる。
彼が私を思って作った姿ではなくなるのだ。
似て非なるもの。似非のモノになってしまうのだから。

「彼が作ったから」
たったそれだけの理由。
故に、私は変えない。

先日、彼にLINEを送る機会があり、聞いてみたところ…。

「変えてもいいよ?ただしあれ以上に美人だったら、だけど」
私には超えられる気がしないね。



大体こんなSexyなHip。
私には作れる気がしない。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年6月15日木曜日

人生の共犯者

どうも皆様。
清水愛と申します。
はじめましての方ははじめまして。
二度目以降の方につきましては、いつも読んで頂きありがとうございます。
では本日もゆるゆると始めて参りましょう。

私のfavorite movieの一つに、「乙女の祈り」という映画がある。
実話を元にした映画で、
二人の少女が片方の親を殺害するという事件が元になっている。
多感な頃の少女達が親を殺害するに至るまでの心理を描いており、
私には衝撃的な映画だった。
まさに頭をぶん殴られるような衝撃を受けたものだ。
未熟な共犯者達。
彼女達は何を思って殺害に至ったのか、気になる方はどうぞ一度ご鑑賞を。
ちなみに、彼女達の一人は後にミステリー作家となっている。
幾つかの賞も受賞しているとのこと。
いつか読んでみようと思っている。

閑話休題。

貴方は誰かと秘密を共有したことがあるだろうか。
秘密の共有。
貴方が誰かと秘密を共有した時、
その誰かは貴方の人生に巻き込まれる。
その秘密の大小に関わらず、だ。
共有された人は、他の誰かに秘密を話すことも出来ず、
貴方の人生の共犯者となる。

数年前。
私はある男性から秘密を打ち明けられた。
命に係わる秘密。
私も彼に、私のバックボーンに係わる秘密を打ち明けていたため、
御相子となったわけだ。

そして、それ以来彼の姿を見ていない。
今でも闘病中であるのか、闘病の末に鬼籍に入ったのか。
それすらもわからない、ネット上のみの関係。

彼は私がSNSで綴る言葉を愛してくれた。
同じように私も彼の言葉を愛したのだ。
彼の言葉はとても独特で、とても難解で、そしてとても官能的だった。

彼の姿を見かけなくなってから、私は言葉を綴るのを止めた。
書けないのだ。
彼が居ないから。

けれど。
もう一度始めてみようと思う。
彼の元に届くように。いつか彼の目に触れるように。
また戻ってきた時に、「また下らないことをやっているぞ」と笑って貰えるように。
もう一度、私の言葉を愛して貰えるように。
そして、他の人に私の言葉を愛して貰えるように。

今日はここまで。
では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。

2017年6月14日水曜日

閑話休題(それはさておき)

どうも。皆様初めまして。
「清水愛(しみず あい)」と申します。

とあるところ―といってもGoogle+ですが―で、「清水愛」と適当に名乗ったところ、
友人がどんぴしゃりでその名前にはまってしまったようで…。
ゲシュタルト崩壊を起こすレベルで連呼してくださったのです。
それから私は「清水愛」になりました。
彼女の語る「清水愛」はとても概念的な存在に思えてなりません。
私は概念的な存在に成り果てていくのでしょう。きっと。

閑話休題。

ブログのタイトルでもある「閑話休題」。
昔からよくあちこちのブログで使っておりました。
このブログでも早速使っておりますね。
私の書き方なのですが、
大体話の枕として本題と関連する何かを書き、
その後に「閑話休題」と付けて本題に入るスタイルです。

内容的には、とあるバーチャルワールドの事、ゲームの事、自分の内面のこと、
日々に起こった諸々のことなど。
いろいろとたわごとをゆるゆると書いていこうかと考えております。
そんなものでよろしければ、どうぞごゆるりとご滞在下さいませ。

では皆様、どうぞ次にお会いするまで御機嫌よう。